
1990年初版のようですからもう四半世紀前の本ですが、この「後宮物語」は好きな本です。
主人公の女の子が皇帝のお后になるシンデレラストーリーですが、その国は滅びてしまいます。
1603年、素乾国皇帝 腹宗が崩御し…ともっともらしく始まる物語ですが、完全なフィクションです。詳細なディティール、引用している歴史書、著者の第三者的な乾いた視線と、まるで本当にあった話のようです。
「中国のこの時代に素乾と言う国があったっけ?」と本当に調べてしまいました(笑)
後宮とは皇帝の子供を沢山残すための、日本で言う大奥でしょう。お后候補の若い娘たちに房事(男性を悦ばすSEXテクニック)を教えるのが、後宮に入るために必要なのですが、不思議と生臭くありません。
最後は国が滅びて皇帝も死んでしまうストーリーですが、とても爽やかな読後感です。
ぼくは読後感の悪い本(映画)は二度と読まないし処分してしまうのですが、この本は何年かに一回定期的に読んでしまいます。
「後宮物語」をアニメ化したのが「雲のように 風のように」です。
アニメになってどの登場人物もデザインされていますが、原作は挿絵が一切ないのに、どのキャラクターも生き生きと描かれています。
無駄のない文章、描写、お手本にしたい作家です。

マンガのように吹き出しが付いたアニメブックです。
「雲のように…」は以前、NHKの衛生放送を録画したDVDがありました。子供たちに見せたら好評でした。
アニメ版「後宮物語」は、子供が観てもいいように性的な描写や血なまぐささはありません。原作の方が細やかな設定や描写に優れているのは、言うまでもありません。

ジブリで活躍している近藤勝也がキャラクターデザインをしているので、一見ジブリアニメのようですが、スタジオぴえろの作品です。
主人公の銀河のデザインは当時「なんてブサイクなヒロインだろう」と思いました。銀河を演じているのは佐野量子です。

皇帝が崩御し、新皇帝のための宮女狩りが行われます。後宮は皇帝が変わると正妃以外は入れ替えなくてはならないのです。
狩りと言っていますが、我こそはと思う妙齢の女性は宮女にドンドン応募するので、鞭で叩いて拉致同様に集めると言ったことはしません。
銀河は宮女になれば「三食昼寝付き」と聞いて応募し、里の代表として都に赴くことになります。

録画した放送はカットされていて、いくつかのシーンがありませんでした。この銀河と父親が話すくだりもありません。
銀河と言うなんとも涼しげな名前を付けた父親とふたり、夜空を見上げて語るシーンは感慨深いです。ぼくに娘がいるからかもしれません。

主人公の銀河と双璧をなすキャラクターの渾沌です。この物語のもうひとりの主人公と言っていいでしょう。銀河と同じく声優ではない小沢昭二が演じています。
小沢昭二は特撮なら仮面ライダーのおやっさん、科特隊の隊長で有名な名バイプレーヤーです。亡くなってしまいましたが、昔の刑事物のドラマや映画でもお馴染みだと思います。
昨今のジブリアニメの、声優ではない芸能人の下手な演技はハナにつきますが、この「雲のように…」の佐野量子と小沢昭二は好演しています。小沢昭二の渾沌は特に上手です。

宮女候補の寮で、銀河と同室になる個性的なメンバーです。
煙管を吸っている江葉(こうよう)は、青い目をしています。中国でもはるか西の方から来たのでしょう。宮女の学校の先生も青い目だったりしますが、中国の国土の広大さ(多民族ぶり)が窺えます。

原作では詳細なディティールが描かれていますが、田舎の愚連隊の親分に過ぎなかった平勝(後の幻影達、西方流に読んでイリューダ)と渾沌が、「暇つぶし」に挙兵して反乱を起こします。
渾沌は何の主義主張もない、地中から何かが湧き出て来るような何の思想もない男です。全ての言動は根拠のない気まぐれです。
元々バクチ打ちの平勝はその渾沌の気まぐれに賭け続けて、勝ち続けます。
「そうかい、渾兄ィ、オレもそう思っていたんだ」と、反対の意見でも幻影達は渾沌の言う通りにします。このふたりの関係は最後の最後に終わってしまいます。
幻影達の反乱はいくつもの偶然と幸運のもとに燎原の火のように大きくなり、後宮のある都まで迫ります。

新皇帝の意を汲んでめでたく正妃になった銀河の生活も、終わりが近づきます(正式には銀河ではなく銀正妃です)。
何とか皇帝(双塊樹、西方流にコリューン)の役に立ちたい銀河は、前皇帝の残した武器を使って後宮軍を結成、叛乱軍を迎え撃ちます。
「あんた、将軍をやりなさいよ」と、銀河は同室だった江葉に指揮を執らせます。江葉も素人なのですが、兵書を研究して素人の宮女たちを指揮、叛乱軍相手に善戦します。この物語のクライマックスです。
江葉の天才ぶり、クールビューティーは「ガールズ&パンツァー」の麻子のようですね。
しかし所詮は寡勢、後宮軍は押されて疲弊していきます。見かねた双塊樹は「自分の身も皇位もやるから、宮女たちは助けてくれ」と軍使に立ち、囚われてしまいます。
一方、"叛乱遊び"に飽きた渾沌は幻影達に「なぁ兄弟、このへんでお開きにしようや」と言い出します。
「何を言っているんだ、渾兄ィ!皇帝の玉座はすぐそこなんだぜ!」「おめえは本当に皇帝になんかなりたいのか?いいからそのへんの物をかき集めて、引き上げてまた遊びに行こうや」「オレは嫌だ!何が何でも皇帝になる!」
ずっと渾沌に賭け続けて来た幻影達は、ここで始めて渾沌に賭けるのをやめてしまいます。幻影達と意見が別れた渾沌は、急速に叛乱への熱意が薄れるのです。

双塊樹が囚われたのを知らされた銀河は、彼を救おうと短銃ひとつで敵軍の只中にひとり降り立ちます。
「田舎の泥付き大根」(渾沌評)、ナガシマも「何て不細工なヒロインだ」と思っていた銀河が、美少女になる瞬間です。
原作と詳細は違いますが、皇帝の生命を救うことは出来ませんでした。銀河たちを見て憐れに思った渾沌は、思いつきで宮女たちを脱出させようとします。

銀河が持ち出したフリントロック式の単発銃の弾は、皇帝が自決するのに使ってしまいました。元込めなので単発式です。
弾は発射出来ないのですが、これを使って渾沌を人質に取る芝居をし、宮女たちを逃がす作戦です。
日本ではこの頃はまだ火縄銃でしたが、この短銃は火縄を使わないフリントロックです。詳しく知りませんが、多分火打ち石のような物がハンマーに付いていて、火蓋を切られた火皿に落ちて火薬に導火するのでしょう。火縄より洗練された銃です。
短銃のハンマーが落ちているのに気づく幻影達ですが、長年の渾沌への友情のためにお芝居に騙されたフリをします。


無事に宮女たちは脱出に成功し、「おれの後宮を作る。宮女狩りだぁ~!」と幻影達は叫びます。
中村正のナレーションでその後の経緯は説明されますが、アニメのラストはあっさりし過ぎかもしれません。
皇帝になった幻影達でしたが数年で皇位を奪われ刑死し、銀河と双塊樹の息子、神武帝 黒耀樹が天下を平定するまで、群雄割拠の乱れた世が続きます。
銀河は江葉の郷里で出産・子育てしますが、子供が乳離れすると、信頼出来る養家に息子を預けて江葉と共に旅に出ます。5年に1回くらい息子に顔を見せに帰ったようです。酷い母親ですね(笑)
各地に様々な伝説を残す活躍をするようですが、息子黒耀樹が皇帝に即位した時に「達者でおやりなさい」と言い残して、また旅に出ます。その後の銀河の行動は、どの歴史書にも残っていません。
後の研究者の目線で語られるのですが、1640年くらいからヨーロッパ社交界のオピニオンリーダーとして活躍した、リヒトシトリ侯爵夫人と言う人物がいます。侯爵夫人と銀河が同一人物ではないのか?と言う説があるのです。
フランス皇帝を女性上位の哲学でやり込めたりなど、侯爵夫人の哲学や思想は宮女教育と共通しています。侯爵夫人と銀河の肖像画はそれぞれ残っているようですが、画法が違うので比較の対象にならないそうです。黒い瞳の美女は共通しているとか…。
リヒトシトリ侯爵夫人の親友、エヴァ・シェラインは江葉なのではないか?とも、研究者は述べています。
源義経がジンギスカンになったような話ですが、銀河ならさもありなんと言う感じがします( ´∀`)
原作は、著者が各地の銀河伝説を訪ね歩いて終わります。どの土地でも共通する銀正妃像は、あの子供っぽいままの銀河であったそうです。
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こんなに清々しい読後感のウソ話は、なかなかありません(^^)
銀河たちの受けた教育で「後宮哲学の真理」と言う言葉があります。真理とはどうやら子を宿すことのようです。皇帝の子供=次の世代が世を継ぎ、真理を生み出すと言う意味なのかもしれません。
ぼくは哲学などとは無縁の者ですが、新たな世代=新たな希望=真理なのかもしれません。我々生物の寿命は限りがあります。限りある生命だからこそ努力や研鑽をし、これまで発展して来たのでしょう。
我が家の娘たちが、果たして真理を宿せるかが見物ですね…。